シングルママになってから株式会社を設立する に至るまでの私の想いと歩み
こんにちは、ゆきのです。
今日は、株式会社を設立するに至るまでの私の状況をお話ししようと思います。
2015年の春シングルママになりました
毎日不安で泣いてばかりいました。
未婚で娘を出産することになった訳
結婚を前提にお付き合いをしていた人がいました。いくつかの理由から、子どもを授かることはほぼ無理だと諦めていたから、妊娠したことがわかった時は本当に嬉しかったです。
すぐに報告したのだけれど、どうも反応がおかしく、そのまましばらく連絡がとれなくなり、不安な毎日を過ごすことになりました。
母親の精神状態が《お腹の子に影響する》とか読んだ事もあったので、「不安な気持ちになっちゃいけない!」と毎日が自分の心との戦いでした。
ようやく相手と連絡がとれて、やり取りを進める中で、その人には一度も一緒には住んでいないけれど、戸籍上の奥さんがいる事がわかりました。
相手「なかなか言えなかった」
私「何を言ってるの?それダメだよね?」
それでも最初は、
「別れて一緒になれるの?」とか、
「娘の事を考えたら、認知してもらった方が良いの?」とか、
「最初からお父さんが居ないって可哀想?」とか、
グルグル考え続けていました。
話し合いも成立しないから、インターネットや書籍で調べて調べて、それでも分からなくて、行政書士さんにもお世話になりました。
本当は目を酷使したらいけない時期にかなり調べました。
でも、数ヶ月経ったある日
「もういい、やーめた!」
「そんな人と無理に一緒になっても、私幸せじゃない」
「娘の事は私が決める事じゃない」
「娘の意思が出てきた時に一緒に考えよう」
と切り替わってしまいました。
私の最大の理解者であり応援者である母に相談したら、「それでいい」と力強く言ってくれました。
母に「私が稼ぐ!」と宣言して「3年間助けて欲しい」とお願いをしました。
そこから、人生をガラリと変えるための行動を始めました。
娘を授かったときは会社員でした
娘を授かった頃は、歯科医院で院長秘書として働いていました。
この歯科医院は、日々の技術研鑽はもちろんのこと、歯科医師、衛生士、助手、受付など、全てのスタッフが経営塾に参加する地元でも有名な歯科医院でした。
私は、院長先生の学会論文のお手伝い、ホームページの管理、各種パンフレットの作成、給与の振込などの銀行手続き、求人などハローワークの手続き、社会保険などの事務手続き、スタッフのサポート、各種マニュアルの整備などを担当していました。
いわゆる縁の下の力持ちです。
誰かの役に立つことが何より嬉しい私の天職だとやりがいをもって働いていました。
フルタイムの正社員。
通勤時間は車で約50分。
退職することを決めました
一度は産後に復帰をする事を決めました。でも私はシングルママなので、たった1人しかいない親です。
娘が生まれて
・この世にこんなにも愛らしい命があるのかと感動しました
・ずっと見ていたいと思いました
・娘の成長をこの目で見ていたいと思いました
・自分は生んだ瞬間から母になれるのではなく、徐々に母になっていくのだと感じました
・新生児のお世話などちょっとした事も最初は出来ませんでした
・ちょっとしたことで泣いて、笑って…そんな自分に戸惑ういました
・新生児をどこかに預けて、会社員勤めを再開するのが無謀に思えました
・通勤往復1時間40分、やり甲斐はあるけれど、時間外の課題や帰宅してからの作業を続けることをしたくないと思いました
・自分の余裕をどんどん削り取られながらの育児が怖かったんです
・自分一人だった頃には出来た体調管理やメンタル管理が通用しないと悟りました。
何より、娘と一緒に居たい。
その頃よく言っていたこと
「シングルママって一人で二人分稼がないといけないんだよね?」
「普通に働いていたら無理じゃない?」
「カラダがいくつあったら足りるの?」
「自分が倒れたら収入がなくなるってこと?」
まだまだイメージの世界でしか考えられていませんでしたが、普段の私であれば「そうは言っても・・・」という考えが強く出て来るのですが、生き物としての感覚が研ぎ澄まされているこの時期、その考えはあまり前面に出て来ませんでした。
どんどん会社を辞める方向に気持ちが傾いていきました。
歯科医院の前に働いていた会社では、育児休業を取りきってから突然退職したスタッフがいて、復帰するのを待っていた会社側とそれまで頑張っていたスタッフががっくりしているのを間近に見ていたので、
単純には言えないけれど、とても申し訳ない気持ちだったのを覚えています。
お金のこと
産前産後休業を取り始めて分かった事があります。
もらえると思っていた《出産手当金》がもらえないのです。
歯科医師国民健康保険は国民健康保険から派生しているので、出産手当金はもらえないのだそうです。
なので、産前休業に入った時から無給になってしまいました。
そして《育児休業給付金》
こちらも出産してから4ヶ月後に初めて支給されます。
つまり…半年近くの無給状態が続いていました。
会社員として働くという事は、会社に対して労働力を提供し対価としてお給料を頂くのだから、何も貢献出来ていない時は無給で当たり前だよねぇと痛感したのでした。
妊娠した時は、育児休業ののち復帰することを考えていたため、一旦はお休みを頂きました。
その途中ではありましたが、手紙と退職届を提出して会社を辞めることになりました。
「娘の成長をこの目で見ていたい!」という想いが止められず、退職することにしましたが不安で不安でたまりませんでした。
銀行口座の残高が毎月減っていきます
収入が0になっても、税金などは前年度の収入で決まっていて、支払いは続きます。
大学を卒業してから会社員を続けてきて、安定収入が途絶えた事がなかった私にとって、《銀行口座の残高が減る一方》という状況が、思った以上に大きなダメージとなりました。
慣れない赤ちゃんのお世話
授乳がうまくいかず娘の体重が減る事への恐怖と罪悪感、乳腺炎にもなりました。
不安から気づいたら声も出せずに泣いていました。
今から思うと相当不安定だったと思います。
ようやく授乳にも慣れて、赤ちゃん中心の生活にも慣れた頃、私は思いました。
「お金に不安があるのは嫌だ!」
「お金に困らない生活がしたい!」
「経済的に自立したい!」
と強く思いました。
このままじゃいけないと気づきました
贅沢がしたいわけではないけれど、安定した収入がないという事に、これほどまでにダメージを受けるという事に気づきました。
「このままじゃダメだ」
「近いうちに貯金もなくなる」
「余力があるうちに人生を変える!」
「中途半端じゃなく激変させる!」
そんな強い想いが湧いてきました。
明日は、このままじゃいけないと気づいた私がとった行動をお伝えしようと思います。